昨日は母の日でしたが、先日、母方のおじいちゃんの十七回忌に行きました。
私が中2になったばかりの春に68歳の若さで亡くなったおじいちゃん。それまで身内が亡くなった事のなかった私は、人の命が有限なのはわかっていましたが、本当の意味で「死」を理解していませんでした。中学生にもなって、おじいちゃんはおじいちゃんとして、ずっといるものだと思っていました。
母の家系は読売系だったので曾祖父や大叔父と同じようにおじいちゃんも最初は読売新聞で働いていたそうです。ただ、麻雀が好き過ぎて脱サラして、地元で雀荘を始めてしまいます。だいぶファンキーな人生ですね。おばあちゃんもだいぶ苦労したと聞いています、汗。父も脱サラプロゴルファーなので、私が手話で起業したのは血筋でしょう……。時代もあるとは思いますが、就職すらしていないので、私の方が我儘を言わせてもらっています。
おじいちゃんには小さい時から可愛がってもらいました。母は姉妹、更に叔母さんも三姉妹を産んだので、おじいちゃんからすると血の繋がった男の子孫は、男孫の私だけでした。スポーツ好きだったので、私が中1の時にソフトテニスで県大会3位になった時は本当に喜んでくれました。おじいちゃんが知っている私の人生は、そこまでです。高崎高校に進学した事も、アメリカに留学した事も、慶應義塾大学に合格した事も、起業した事も知りません。そう思うと、もっと長生きしてほしかったと心から思います。
私は宗教を持っていないので、死生観などは個人的な感覚なのですが、今でもおじいちゃんが常に近くで見守ってくれている気がします。顔を見る事も、声を聞く事も、触る事ももう出来ませんが、今でも応援してくれている感覚があります。これからもおじいちゃんに良い報告が出来るように日々頑張っていきたいと思います。