本日、私の最も大切な人の一人とお別れをしてきました。シュアールを創業してから本当に多くの方々に支えてもらい、今のシュアールと私があります。その事には本当に感謝をしていますが、この方はその中でも、文字通り「この方がいなかったらシュアールを創業していなかった」という人です。
故 松倉秀実先生との出会いは、私が応援指導部を退部し、バイオ専攻にも進めず、それまでしてきた事が全てなくなり、進路に悩んでいた大学1年の秋学期に”なんとなく”で受講した『知的財産権とビジネスモデル』という授業でした。後に知ったことですが、先生にとっても初めて授業を受け持った年だったそうです。先生の授業は知的財産に関する法律の細かい事を覚えるのではなく、特許や著作権といった普段から耳にした事はあるけど実態を詳しく知らない法律が、いかに私たちの生活に影響しているのかを、旬な事例と共に紹介していく授業でした。毎回、社会の裏側に少しずつ詳しくなっていく気がして楽しかったのをよく覚えています。
その授業の最終課題は「自ら知的財産を利用したビジネスモデルを考案する事」でした。私は趣味で2ヵ月前に創設した手話サークルを題材に選びました。日々、手話サークルの活動に多くの時間を使っていて、私の頭の中は常に手話の事だらけだったので、それは自然な流れでした。しかし、当時、手話のビジネスが本当に成り立つなんて考えもしていなかったので認められると思わず、手話と関係のないアイディアも3つ用意していました。当時の資料を読み返すと内容はどれもひどいものでしたが、松倉先生は授業外の時間を使って相談にのってくれました。4つのビジネスアイディアを説明し終えた私に、先生は批判するわけでもなく、アドバイスをくれるわけでもなく、一言「どれが一番したい事なの?」と質問をしてきました。私は意表を突かれました。一番良いアイディアを先生が選んでくれると思っていたからです。悩んだ挙句、「手話…、ですかね」と答えました。その時の私の声は本当に小さく、震えていたかもしれません。繰り返しになりますが、手話のビジネスなんてふざけていると怒られるかもしれないと思っていたほどだったからです。
「やっぱり!わかるよ。一番心が籠っていたから。」
この一言が私をこの道、「手話ビジネス」へと導いてくれました。その後、本当に手話ビジネスを立ち上げたのは10カ月後でしたが、先生のお蔭で最初の一歩を踏み出せました。
その後、授業課題では最優秀課題に選んで頂き、賞品として無償で特許出願をして頂きました。創業前には法人格に関するアドバイスや特許の取り扱いを指導して頂き、創業時からは弊社の顧問に就任して頂きました。そして、2012年3月に先生が療養生活に入るまで公私共に本当に支えて頂きました。最後にお会いできなかった事を心から悔やんでいます。本日知った事ですが、昨年の2月には余命4ヶ月と宣告されていたそうです。57歳という早過ぎる死に、御本人が一番辛かった事と思いますが、先生がやり遂げられなかった事は我々教え子たちが受け継いでいきます。今はゆっくりとお休み下さい。先生との約束は絶対に果たします。これからも見守っていて下さい。ありがとうございました。